久しぶりに本を読んだ。
前回の書評エントリーからは二ヶ月が経っている。
二冊くらいその間には読んだけど、小説としては2014年初めての一冊となった。
絲山秋子さんの『ばかもの』。
絲山秋子といえば06年に『沖で待つ』で芥川賞をとったことでご存知の方もいるかもしれない。
以前に付き合っていた彼女が絲山さんの作品が好きで、僕も名前だけは知っていた。
『ばかもの』とは、一人の男・ヒデが、額子という女との欲情に溺れ、捨てられ、アルコール依存症に陥り、その中で生きていく理由、自分の存在意義をふらふらと見つけていくという作品である。
冒頭のヒデと額子の営みを描いていく部分は、読者が自らに投影しやすい類のものだろうが、
アルコール依存に陥ってからのヒデに感情移入できる人はなかなかいないはずである。
主観的な読み手から客観的な読み手に変化するということである。
アル中になってからのヒデは、その惨状たるやといったもので、普通に会社勤めをして普通の生活を送っている我々からすると、彼の愚かさはあまりにもリアルからかけ離れている。
それでもこの作品がそこまで作りものっぽくならないのは、舞台となっている群馬の情景、言葉を織り込んだり、酒に溺れる様の描き方が実に映像的だからだと思う。
リアルじゃないけど、はっきりと世界を脳内に映すことができる。
あとは、この作品に出てくる「想像上の人物」という存在。
それは守り神のようなものなのかもしれないし、もっと具体的なのかもしれないけれど、その実体感のなさが逆に『ばかもの』に読者が寄り添える一因となっているのかなとも。
こうやって回りくどくレビューしていることからも、そんなに愛だ絶望だってテーマが刺激的に描かれているわけでもないし、文体などから何か僕が特別感じたこともなかった。
でも、夢心地か現実か読者もわからないような境界をふらふらと彷徨うヒデのばかものっぷりに引き込まれたし、不思議な読後感が残った。
ヒデが、と三人称で書いているときと、俺が、と一人称で書いているときのパターンがあるのだけれど、そのへんも曖昧な境界に読者をいざなうのかも。
僕が一番印象的だったのはアルコール依存の時期を描いたところですが、読む人によって主題の考え方は違うと思う。
連載小説なのでプロットには多少目をつぶるとしても、とても多角的な見方ができると思われる一冊。
章によってまったく雰囲気が違います。
80点。
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