ほんトノトコロ

小説を中心に読書感想文を掲載します。 書評の域には達しておりませんので悪しからず。 好きな作家は江國香織、吉田修一。

芥川賞を受賞した又吉直樹の『火花』も読了。
又吉の経歴やらストーリーは割愛する。



まず、最初に断っておくと、僕はお笑い芸人に興味がない。というか好きじゃない。
『漫才ギャング』でも述べたことだけど。

又吉に関してはサッカーをやっていたし、本が好きで頭の良い人だなというのは何年も前から思っていたのでそんなに抵抗はなかった。
でも、所詮芸人を描いた本なんて名声のおかげで受賞した部分もあるんじゃないの?

『火花』に関してはやや疑心暗鬼で読み始めた。



僕はこの作品を「文藝春秋」で読んだが、最初の2ページに関してはうわぁ……とおもった。
又吉さんに限らず起こりうることだけど、冒頭がカッコつけすぎである。
熱海の花火には行ったことがあるが、テントでの出し物と言ってもそんな大したものでもない。その大したことのないイベントで花火大会の喧騒の中、話し続けなければならない苦しさは理解した。ただ、カッコつけすぎである。


ところが、ここからが凄い。
カッコつけから大変身。徳永と神谷のセリフをベースに淡々と物語を進めていく。それでいて単純な言葉だけではないし、文末の調子も特に気にならなかったので読者を作品内にいざなう手法としては良かったのだと思う。

神谷というキャラクターはよくわからなかった。
斜に構えたがゆえの言動なのか、それとも本当に面白い物を追求する過程なのか。

評価される個性と排斥される異質性はもしかしたら紙一重なのかもしれない。
結局どの世界においても、成功するためにはどこかで妥協なり周りと歩調を合わせることが必要な場面が出てくるはずである。

徳永は神谷の評価をうかがいつつも、それが上手かった。
彼が最後にやった衝撃的な漫才もそれまでにある程度正統派で歩んできたからこそ出来たものだと思う。


その一方で徳永が神谷をある種聖域化してしまったことによって、神谷のハードルを上げてしまったとは考えすぎだろうか。
徳永は自身の髪型、服装を真似た神谷をなじった。
けれども、神谷は良いもの「だから真似する」のではなく、「自分も良いと思ったものはたまたま前に徳永がやっていたもの」取り入れる人間である。

物語が進むにつれて神谷のお笑い芸人としての拠り所がどんどん萎んでいくのは切ない。


よくわからなかったのは神谷と徳永のメールにおける小噺も。お笑いを見ていれば意味がわかるのかもしれないが僕はわからなかった。
逆に芸人世界がわからなかったからこそ、ネタ本から創出されたストーリーに対して嫌みたらしさも冗長さも感じなかったのかもしれない。


又吉だから書けたという印象は感じなかった。じゃあ他の芸人さんがこれだけ綺麗な文章で書けるかといったら別の話。品川ヒロシあたりの表現手法は僕は好きではないわけで。
だからこそ、又吉直樹というステータスによって書かれたものでない、しかし彼の執筆能力は高いということがわかった。

お笑いという私小説気味のジャンルを封じられた時にどうするのか。
インタビューで言っていた人間関係を紡ぐ作品はぜひ、読んでみたい。

80点。
又吉直樹
2015-06-11


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